ことの起こりは、そう今から4カ月も前の7月の事である。天研としては今までにない新たな計画をたてたのであった。
空気の澄んだ場所での流星観測」をスローガンに、天研としてはよく練ったつもりであった。
そして決行日は8月9日から13日まで、行く先は福島県の裏磐梯に決まったのであった。そして運命の扉はたたかれたのであった。

AM7:30
町田駅はちょうどラッシュアワーで、ものすごい混雑ぶりを呈していた。
三年生2名が集合時間を過ぎてもなかなか来ないので一年生2名(古味・角田)がしびれをきらし、先頭をきって出発していった。
まさに「分裂の天研」である。5分程遅れて先輩約2名は来た。
なんやかんやと遅れたいいわけをしているうちに電車がきてしまったので、遅れた理由も追及せずに、あたりかまわず乗り込んでしまったのだ。まさに「適当な天研」である。

AM8:00
車内は騒々しかった。なぜなら天研部員が騒いでいたからだ。まさに「騒音の天研」である。

AM8:30
新宿駅を我々は探査していた。なぜなら周遊券売り場を探していたのである。
国鉄(!)の駅員は「あっちの方」とか「向こうの方」とか抽象的な言い方しかしないのである。
そのうえ不幸なことにも日本一乗降の激しい新宿駅のラッシュアワーと重なって、我々は人ゴミの中をさまようことしかできなかったのである。まさに「不幸な天研」である。その後、我々は必死の思いで周遊券を買った。

AM9:30
予定より少し遅れて上野駅につくと先陣の2名が順番をとっていてくれた。我々はその後自然にバラバラになっていた。そしてその後、我々11名がそろった時は列車入線時刻までなかった。
AM11:40
急行列車「ばんだい」が入線してきた。天研部員は身軽な者3名を押しだし座席獲得作戦に出た。

AM11:45
列車のドアは開かれた。その瞬間その3名は電光石火の早わざで車内に飛び込み座席を11席獲得した。
しかし、また「分裂の天研」に騒ぎが生じた。
座席の座る位置である。4人・4人・3人と分かれて座るのだがどれかの班には女子はいなくなるのである。
なぜなら女子は2名しかいないからだ。
男子9名で緊急会議が開かれた。いろいろと話し合ったが結局、年功序列型になって、私と純氏と古味君が女子のいない班になった。女子というのはのちにちゃんと紹介するが、鈴木姉妹のことである。

AM11:55
列車は上野駅を出た。もうぼくたちは引き返せないのである。これから4時間の列車の旅は始まったのであった。
他の班ではトランプを始めたりして遊んでいたが、我々の班は女子がいないということでふてくされて昼メシを食いはじめた。

PM3:00
さすがに東北は緑ばかりだった。我々の班はあまりにもつまらないので、通り過ぎる墓地の数を数えはじめた。だいたい24個を数えていたころである。
スコールだ
そうである。あまりのすごさに東北本線は冠水してしまい、列車は郡山から前え進めなくなってしまったのだった。

PM4:10
列車は1時間遅れて郡山益を出発した。

PM5:00
車内で郷土のおじいさんとおしゃべりをしながら列車は猪苗代駅に到着した。駅前でバス停を見付け、並んだ。

PM5:05
運良くバスはすぐに来た。荷物をたくさんもっているだけに乗り込むのはひと苦労だった。バスはどんどん山奥に入っていき、あたりには霧がたちこめてきた。我々の降りる「長峰船着き」に着いたころはあたりが暗くなりかけていた。我々は夜にならないうちにキャンプ場に着こうと必死になって坂を登りだした。

PM6:00
大石キャンプ場着


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